今まで紹介した現存天守(松江城、備中松山城、丸亀城:Blog#001-ot)や今後行くであろう現存天守の中で世界的にも有名な姫路城。高速道路からチラッと見たり、新幹線で通り過ぎることはあっても、訪れたことはありませんでした。今回、観光地として確固たる地位を築いたこの地を訪れ、周辺を散策することができました。
今回の主目的の姫路城へ。
姫路城見学後は、姫路城西御屋敷跡庭園 好古園(5枚) → (姫路文学館) → 男山配水池公園(2枚) → 兵庫県立歴史博物館(2枚) → 姫路市立美術館(3枚)へ。姫路城を中心に反時計回りに足を進めました。※姫路文学館(設計:安藤忠雄、1991年)はリニューアル工事で休館中、2016年7月30日オープン予定です。
たっぷりとしたアプローチ、堂々と迎え入れる懐の深さ。大手門から大天守を最初に見た印象です。「平成の修理」が完了したばかりということもあり、漆喰の白さは際立っています。世界文化遺産、国宝であるが故、平日でも観光客が多く訪れています。ゆっくり天守内を散策することはできませんが一度は訪れるべき場所だと感じました。姫路城を見学した後、別の場所へ移動するのではなく周辺を散策することをお勧めします。建築好きの方ならご存知かもしれませんが、丹下健三氏の建築も安藤忠雄氏の建築も徒歩で回れます。そして、どの場所からも大天守を眺めることが出来るので、様々な角度の姫路城を楽しめます。歴史の詳細は分かりませんが、姫路城を現在の姿に大規模修築したのは、播磨姫路藩、初代藩主の池田輝政でその息子の忠継は備前国岡山藩、初代藩主。閑谷学校などをつくり江戸時代初期の三名君の一人と言われた池田光政は、池田輝政の孫にあたります(三名君、その他は徳川光圀、保科正之)。池田光政の子、綱政は後楽園、吉備津彦神社などを手掛けました。その後池田家は明治、大正、昭和、平成まで岡山の名家として存続してきましたが、初代藩主池田忠継から数えて16代目になる隆政氏(池田動物園園長)がご逝去され、嫡流は途絶えました。現在の岡山市の伝統や文化を池田家が創りその源流が姫路にある。姫路と岡山の深い関係を物語っています。
参考資料:「各種パンフレット(世界文化遺産 国宝 姫路城 特別史跡姫路城跡、姫路城西御屋敷跡庭園 好古園)」他
訪問日:2015年08月20日
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