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#006 世界文化遺産 国宝 姫路城

 今まで紹介した現存天守(松江城、備中松山城、丸亀城:Blog#001-ot)や今後行くであろう現存天守の中で世界的にも有名な姫路城。高速道路からチラッと見たり、新幹線で通り過ぎることはあっても、訪れたことはありませんでした。今回、観光地として確固たる地位を築いたこの地を訪れ、周辺を散策することができました。


今回の主目的の姫路城へ。

大手門周辺。桜門橋から大天守を望む。

大手門周辺の石垣。排水溝に使用されている石も目がいく。

三の丸広場から大天守、西小天守等を望む。

菱の門。桃山風の花頭窓。姫路城の中でも豪華絢爛な門の一つ。

鷺山から大天守、西小天守、乾小天守等を望む。

白い。左官技術に脱帽。

石垣。他所に比べて新しい印象。

角の隙間に石落とし。

唐破風、千鳥破風の美しさ。青空であれば城がもっと映えていたはず。

補修、昭和三十八年九月、施工会社、石工責任者が刻まれている。目立つ箇所にあるので、見つける人も多いのでは。

三国堀から見る天守周辺。絶景ポイントの一つ。

 姫路城見学後は、姫路城西御屋敷跡庭園 好古園(5枚) → (姫路文学館) → 男山配水池公園(2枚) → 兵庫県立歴史博物館(2枚) → 姫路市立美術館(3枚)へ。姫路城を中心に反時計回りに足を進めました。※姫路文学館(設計:安藤忠雄、1991年)はリニューアル工事で休館中、2016年7月30日オープン予定です。

好古園。入り口を抜け、活水軒へ。美しい延べ段が。

好古園。御屋敷の庭、南側の大滝。

好古園。平成4年開園、約二十数年経ち大分落ち着いた装い。

好古園。潮音斎から見た池の眺め。

好古園。茶の庭。管理が行き届いており、エッジの処理が良い。

この階段を上りきれば男山配水池公園。段数198段!

男山配水池公園から大天守を見る。城下町が一望できる場所。階段を懸命に上がった甲斐あり。

兵庫県立歴史博物館(設計:丹下健三、1982年)。大天守が移り込む様、設計されているはず(おそらく)。

兵庫県立歴史博物館。現代の城をイメージして設計された。

姫路市立美術館(1983年)。レンガ積が美しい。

陸軍姫路兵器支廠・被服倉庫→姫路市役所→姫路市立美術館へと変遷。

姫路市立美術館。奥に大天守が見える。

 たっぷりとしたアプローチ、堂々と迎え入れる懐の深さ。大手門から大天守を最初に見た印象です。「平成の修理」が完了したばかりということもあり、漆喰の白さは際立っています。世界文化遺産、国宝であるが故、平日でも観光客が多く訪れています。ゆっくり天守内を散策することはできませんが一度は訪れるべき場所だと感じました。姫路城を見学した後、別の場所へ移動するのではなく周辺を散策することをお勧めします。建築好きの方ならご存知かもしれませんが、丹下健三氏の建築も安藤忠雄氏の建築も徒歩で回れます。そして、どの場所からも大天守を眺めることが出来るので、様々な角度の姫路城を楽しめます。歴史の詳細は分かりませんが、姫路城を現在の姿に大規模修築したのは、播磨姫路藩、初代藩主の池田輝政でその息子の忠継は備前国岡山藩、初代藩主。閑谷学校などをつくり江戸時代初期の三名君の一人と言われた池田光政は、池田輝政の孫にあたります(三名君、その他は徳川光圀、保科正之)。池田光政の子、綱政は後楽園、吉備津彦神社などを手掛けました。その後池田家は明治、大正、昭和、平成まで岡山の名家として存続してきましたが、初代藩主池田忠継から数えて16代目になる隆政氏(池田動物園園長)がご逝去され、嫡流は途絶えました。現在の岡山市の伝統や文化を池田家が創りその源流が姫路にある。姫路と岡山の深い関係を物語っています。


参考資料:「各種パンフレット(世界文化遺産 国宝 姫路城 特別史跡姫路城跡、姫路城西御屋敷跡庭園 好古園)」他

訪問日:2015年08月20日 

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